結婚式でお世話になった神父さまに会いに、御殿場にあるクリスト・ロア修道会へ行きました。
この修道会は神山復生病院に併設されています。
神山復生病院は、1887年に宣教師によって設立されたハンセン氏病患者のための病院をそのルーツとしています。
4月7日の夜に復活徹夜祭、8日の朝に復活祭のミサをうけましたが、その後、ハンセン病院に関する資料が展示してある資料館を見学しました。
小路の先に復生記念館があります。
復生記念館は1897年建築。2002年まで事務所本館として使用されていた歴史ある建物です。
2006年には国の有形文化財に登録されています。
階段は火山性の岩石のようです。地元の石でしょうか。
窓ガラスは微妙にうねっており、当時のままのようです。
館内は撮影禁止でしたが、歴史を解説した年表や、院内貨幣、患者による野球チームのユニフォームなど重みある展示品がありました。
神山復生病院はフランスからの宣教師テストウィド神父が、水車小屋に住んでいたハンセン病患者を保護したことから始まった病院です。
ノルウェーの医者ハンセンが菌を発見したのは1873年、正確な観察をしたのは1880年とのことですから、まだまだ科学的な治療ができなかった時代です。
亡くなった患者を埋葬することすら拒否される風潮の中、病院側と地元の方とのやりとりでなんとか墓地をつくることができたそうです。他の病院では納骨堂があるだけだと伺いました。
ハンセン病と診断されて入院後、誤診が明らかになっても看護師の資格をとって院に残った井深八重。
東大哲学科卒の博士号持ちの6代目院長岩下壮一など初めて知ることができました。
(参考:「先覚者シリーズ 跡導(みちしるべ) ~静岡の福祉をつくった人々~」静岡県社会福祉協議会)
神山復生病院の特徴は、私立であるということです。
当時から財政的には恵まれず、神父様たちは寄付金を集めて回ったとか。
聖テレジアの像の看板には面白い逸話が。
『当時の院長、レゼー師は宣教師の保護者聖テレジアを会計係とし、お金に困ると「あなたの仕事です。心配してください」と御像に訴えたと伝えられている』
教会は病院・ホスピスとつながった構造になっています。
ミサには患者の方もいらっしゃっていました。
大変貴重な経験をすることができました。
【補遺】
タイトルの「ラザロの家」はハンセン病施設を指す言葉。
新約聖書にはラザロという「ハンセン病患者」がでてきます。また、旧約聖書でも祭事の規則等を書いたレビ記に穢れとして登場します。
昔のらい病が差別用語だとして「ハンセン病」に変わったわけですが、カッコつきにした理由は、そもそも聖書で言われる「らい病」はハンセン病ではない、との考えが現在では主流になっているからです。
もともとヘブライ語聖書には「ツァラアト」と書かれており、これは皮膚に疾患をもつかなり広い病気一般をさしていたのではないかと解釈されています。
現在の聖書でも「ツァラアト」になっています。
高校生ごろからほとんど教会に行かなくなったダメ信者の私は「あれ?いつの間に変わったのかな?」と思ったのを思い出しました。
wikipediaによると変わったのは2003年からのようです。
このツァラアトからレプラ・らい病・ハンセン病、そしてツァラアトへの変遷、ハンセン病の科学的解明、過酷な社会的差別の歴史は、科学・宗教・社会にまたがる非常に興味深いテーマです。