太陽光発電の進化学?

東工大Creative Flowが主催する
太陽がいっぱいカフェ ~ソフトエネルギーと太陽光をどう考える?~に、サブスピーカーとして参加しました。

今話題の自然エネルギーの中で、太陽光発電をテーマに、科学、社会、文化の側面から話し合うのが趣旨です。

会場は恵比寿駅から徒歩5分程度のクリエイティヴスペースamu
おしゃれです。曲線と直線、自然光とライティングが溶け合っています。

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↑準備中。

メインスピーカーは山田明先生。東京工業大学で太陽光発電を研究されています。
サブスピーカーは科学技術政策が専門のマイケル・ノートン先生と私。
山田先生が15分ほど情報提供し、あとの2名は5分で情報提供という流れです。
内容はというと、企画のN先生にむちゃぶりされて、なぜか私は「カルチャーゾーン」で「デザイン」について話題提供をすることに。
といっても無理なので↓のようなことに・・・

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適当なこというなコラ、という人もいるでしょう。
科学の思想への乱暴な援用は慎むべきですが、ちょっと違う見方から考えて議論してみようということで、生物学・進化学から太陽光発電のデザイン*1を考えてみました。

■体外構造は身体の延長である
生物の身体は、タンパク質から構成されているいわゆる肉体だけではない、という考え方があります。
生理機能をもつ体外構造も遺伝的にプログラムされ、作られる身体であるという考えです(ターナー、2007

実例としては、オケラの巣穴があります。
オケラは自らの肉体だけでは大きな声で鳴くことはできません。ラッパのような構造をもつ巣穴をつくることで
大きな鳴き声を出すことが可能になっています。
また、ミミズのトンネルは、最小限のエネルギーで体内の水分量を調節できるように機能しているとも言われています。

では人間のつくる体外構造の一つ、道具や機械はどうでしょうか。
もちろんそれらは遺伝的にプログラミングされているわけではありませんが、人間がつくる道具や機械もこの延長された身体だと考えてみましょう*2。

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■何が身体をつくるのか
この体外構造を含む生物はとはどのように「デザイン」されてきたのでしょうか。
それは誰かが考えてつくったわけではなく、進化の結果獲得されたものです。

進化の原動力の一つは自然選択です。
ざーっくり言うとその時点の自然環境によって、ある形質をもった個体(遺伝子)が残り、集団の中に増えていきます。
このようにして新しい種がうまれていきます。

もうひとつは性選択です。異性の好き嫌いや、同性間の争いによる選択で、これによって一見おかしな形質も進化すると考えられています。
例えば、目の幅が広ければオス同士の闘争に勝てるシュモクバエや、やたら変な形のツノゼミなど。

なぜこのような「おかしな」進化がおこるのかすべてわかっているわけではありませんが、目立つ形質はハンディキャップがあっても生き残れる強さを表していると異性に評価されるからといった説があります。
また、このような突飛な形質は、生存に不利になるまでどんどん発達していくとも考えられています。

つまりその表面的な形質は、性と生殖に関する、直接的な機能だけではない包括的な機能・社会を可視化していると言えます。

■太陽電池のデザインは
では太陽電池のデザインどうでしょうか。
発電効率は高くなり、多結晶だけではなく単結晶などの種類もあり、さらに曲げることも可能な薄膜太陽電池も出てきていますが、基本的に大きく変わるわけではありません。
まだ自然淘汰的な側面が大きい印象があります*3。

とはいえ、奇抜な形(デザイン)の太陽電池をつくるべき、と言う話ではもちろんありません。
形はあくまで結果です。

どのような太陽電池の選択肢があり、そこに太陽電池が持っている社会的機能を可視化させるのか、ということが重要なのではないか、ということです。
人間のつくるモノにランダムな変異が起きない限り、逆に意識的に多様な変異を作り出すのがデザインのなせるわざなのではないでしょうか。
そして、何より太陽光だけではなく、多様な尺度によってエネルギーの選択が可能な社会的仕組みをデザインする必要があるでしょう*4。

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■太陽光発電の本質とは
ただそういったデザインをする場合、過去に対する視点が必要です。
生物の進化の方向と程度は、すでに存在している発生機構に大きく拘束されます。
人間の考えも同様ではないでしょうか。

我々は太陽、太陽光発電、エネルギーにどういった考えを持っているのか、それはどこからきているのかという過去と現在の「カルチャー」をよく理解することがまず必要だと思われます。
それを知ることでその拘束を活用し、発展させることも、その拘束からある程度自由になることもできるかもしれません。
進化は完全に必然的な正しい結果ではなく、他にもありえたかもしれない複数の可能性のうちの一つだからです。

■それはさておき
とまぁそんなまとまらない話をしました。
私を含むスピーカー3名の話題提供のあと、「サイエンス」「社会」「カルチャー」のグループごとで話し合い、その結果を全体で共有しました。
出てきたキーワードは打ち込まれ、プロジェクターで壁に投影されました。

タグクラウドのイメージです。デザインやられている方がやったのでかっこいい。

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他にもいろいろ議論され、書き込まれたのですが、それはCreative Flow公式サイトでの報告にゆずります。

蛇足ですが、私としては、太陽光発電のデザインには以下の点が重要かと妄想しています。

身体性: 消費だけではなく、生産もする身体としての機能を持つ。
拘束性: 従来の発電・送電系と競合性が高い。また、機能は面積に依存する。
群体性: パネル単体ではなく、多数のパネルと係統で連携することで大きな機能を果たす*5。

また、太陽光発電全体に対するイメージとしては、パネル単体のイメージ、明るい太陽と静的な植物のイメージであり、平和的イメージがあるように思えます。
太陽光発電は、エネルギーの生産と流通、消費への直接的な市民参加を可能にする非暴力の装置になるというイメージが強いように思います。
しかし、太陽光発電は、原子力にかわるより強力な支配装置の代替になる可能性はないのでしょうか?

80年代のアメリカディストピアSFみたいに、太陽光発電ですべての電力をまかない、設置を拒む市民は投獄されるという全体主義国家とか、あるいはプルトくんやでもんじゅくんみたいに表面的にはかわいいキャラでアピールしつつ、巨大な官僚組織にバックアップされた太陽光利権団体とか・・・
そういった、太陽光発電には自らを相対化、パロディー化するようなカルチャーが欲しい(趣味ですが)。

少なくとも、自らをの正しさを信じて疑わないような太陽光デザイン、明るさだけをもたらすと喧伝するような太陽光デザインに魅力も未来もない、と私は思っています。


*1 進化であまり「デザイン」という言葉を使うとIDみたいなので要注意・・・ もちろん社会進化論を支持する話でもありません。
*2 生物と機械の進化の一番異なる点は、科学者はランダムに太陽電池をつくっているわけではなく、目的と方向性をもっている点
*3 太陽光発電のような超微細なスケールのモノの機能をつきつめると、可視レベルでは差がなくなることや、価格面、保証面でも競合が厳しくなると、それ以外の要素で差異を作り出すことは、優位性を確保するうえでは必然のようにも思えます。
*4 それは電源三法などの法制度や様々な規制を含むことになるでしょう。
*5 分散型のことを指していますが、集中型(メガソーラー)もあります。ただ、日本は諸外国と比較して分散型を指向しているのでこのような設定に。