人々の声が響き合うとき : 熟議空間と民主主義 (2011/04/21) ジェイムズ・S. フィシュキン |
木ゼミ輪読会第5弾。
Sゼミおすすめ図書一覧でリストアップされた一冊から、ホットなトピックということで選ばれました。
私の担当は余りで「第1章 民主主義の理想 Democratic Aspirations」(pp.11-56)となりました。
この章ではDPへとつながる民主主義の歴史と理念、方法についてまとめられています。
本書は全体としては、やや記述が整理されておらず、また具体的な手法や結果について詳細に記述されていない点が残念ですが、DPの理念とその歴史的背景、これまで実施されてきたDPの概要を知るには必読と思われます。
具体的な手法や結果についてはCenter for Deliberative Democracyを参照すればよろしい。
以下、私見を補足しながらざっくりと1章を要約。フィシュキンの論をきちんと知りたい人はきちんと読んでちょうだい。
英語版はネットで読むことができます。
Center for Deliberative Democracy: When the People Speak: Deliberative Democracy and Public Consultation
■熟議民主主義とは
フィシュキンはまず民主主義に必要な要件として以下の2点をあげています。
1.政治的平等: 「すべて」の国民に発言権があること
2.熟議: 参加者が誠実に賛否両論を検討し、公共の解決策について熟慮の上で判断を下すこと
そして一方で、それが困難な理由として4点をあげています。
1.合理的無知
個人の意見の影響力の小ささを考慮すると、コストをかけて情報をあつめ、判断することは非合理であり、そのような行為はとらない
2.非態度
人は意見といえるほどの意見を持たない
例)1975年公共法:存在しない法令について質問しても何らかの考えがあるかのように回答者はふるまう(”The illusion of public opinion: Fact and artifact in American public opinion”, George F. Bishop, 2005)
3.集団分極化
人間関係を危険にさらしてまで、政治問題について対立する意見をぶつけることを人は避ける。このため、自分と似たような人としか議論しない傾向に陥る
4.プライミング効果
ある事例について関心が低い場合、目立つ事実に影響を受けやすいく、他の側面が埋没する。
例)アメリカ大統領選挙におけるネガティブキャンペーン等
以上の課題の為、参加の場を開いても特定の利害関係を持つ人だけが参加するという参加バイアスによって「少数派による支配」が生じる。
フィシュキンは市民は無知蒙昧であると主張しているわけではなく、個別の事例について詳しく熟議をできる市民というものは存在し、無作為で選ばれた集団であれば、政治的な平等と熟議の両方を兼ねることができる、と主張しています。
このあたりが興味深いところで、DP(フィシュキン)には「衆愚」への危機感と同時に、市民的理性と熟議に対する確信のようなものがベースにあるように感じます。
■DPの起源
さておき、次に本章では、「古代アテネから現代アテネへ From Athens to Athens」と題してDPの起源について触れています。
フィシュキンはDPの起源を古代アテネ(紀元前4-5世紀)に求めています。
古代アテネには500人評議会と呼ばれる熟議の場があり、くじ引きで選ばれた市民500名が定期的に審議し、重要な公的事項を決定していました。これは無作為抽出と、合理的無知の状態ではいられない小集団での議論を兼ね備えており、熟議民主主義の原型といえるものだ、としています。
一方で、留意すべき点として、「市民(女性・奴隷・未成年除く)」限定であり、また希望者のリストからの抽出であって本当の無作為抽出ではないこと、賛成派・反対派の意見を聞くだけで小集団での議論は実際は行わなれなかったこと、市民陪審団こそがソクラテスに死刑判決を出したこと、を挙げています。
そして2000年以上の時を経て、ギリシャでDPが行われたことを紹介。
それは2006年の6月に全ギリシャ社会主義運動党の公認市長候補者の選出方法として用いられました。
・DPに先立ち、党委員会が最終候補者を6名にまで絞り込む
・ギリシャ市民から無作為に抽出された160名がアンケートに回答
・集まって熟議:19の争点を議論し、6人の候補者に質問
・同じ項目のアンケートに回答
・候補者を一人に絞るために参加者が投票
・当初知名度最下位だった候補者(パノス・アレクサンドリス)が公認候補者に決定
この事例は、DPの面白さと同時に注意すべき点も教えてくれるように私には思えます。
ギリシャ社会主義労働者党の狙いは、党員や支持者だけではない有権者を巻き込んで、市長選に備えてより広い層に党をアピールすることにあったでしょう。つまり政治キャンペーンです。
ここで重要なのは、このケースにおいてDPは公的なプロセスではなく、一政党の候補者選定プロセスであること。そして熟議の後、参加者の投票という意思表明・決定のプロセスも含めている点だと思います。
一方で、まだ公的な政治プロセスに組み込まれていないDPには、まさに「少数」による政治キャンペーンとしてしか機能しない側面が非常に大きい事を示しています。
■洗練された世論 VS. 生の意見 ~代表民主制 VS. 直接民主制
古代アテネの次は代表民主制と直接民主制、そしてアメリカの政治の歴史をなぞりながら、フィシュキンはDPの意義を説明していきます。
代表民主制では、選出された一団が議論することで視野を広げ、何を考えているかだけではなく、より多くの情報を得た場合どのように考えるかも議論することができ「洗練された世論」を得ることができる。
一方、住民動議・住民投票・世論調査・フォーカスグループなどに代表される「生の意見」は政治ショーになりやすく、世論の欠点もそのまま映し出す、とし「大規模な市民集会は、各個人がソクラテスのようであってももはや群衆になってしまう」とも書いています。
一つ覚えておきたいことは、世論調査はそもそも直接民主制の代替手段としてジョージ・ギャラップによって設計され、「サンプリングされた住民投票」と呼ばれていたという点。
つまり世論調査は単なる予測のための調査ではなく、有権者の意思による投票ではなく無作為抽出された回答者によって政策決定を行うという側面をその起源に持っていたということです。
そしてアメリカの代表民主制においては歴史的に二つの考え方があると説明しています。
一方は、議会は世論を「濾過」し、熟議により洗練させる機能をもつべき(結果は実際の世論とは異なる場合もある)という考え方。もう一方は、代表は可能な限り実際の声の「鏡」となるべき、という考え方。
前者は連邦主義(連邦政府による中央集権を進める考え)で、後者は反連邦主義(各州の独立性を高め、連邦政府の権限は弱くすべきとの主義)の議会像であるとし、さらに熟議民主主義と大衆民主主義に対応させています。
フィシュキンは、本来は熟議のための全国党大会や選挙人団というシステムが熟議の場になっていないと指摘し、現代の民主主義全体としても、「濾過」と「鏡」の複合体だが大衆の影響力が大きくなってきている、としています。
■公衆の意見を聞くための八つの方法
そんな現代で行われている市民参画の形態を、フィシュキンは八つに分類しています。
(注:フィシュキンは「ミニパグリックス」という言葉を使っていません)
この方法を見ると、今日本でエネルギー政策に関する議論であらゆる方法がとられていることがわかります。
赤で囲んだものががそれ。
以下、完全に対応しているわけではありませんが、実例を挙げてみましょう。
1A. SLOP (Self-selecting opinion poll)
・ラジオやインターネットで回答を募る方法
・参加者はその問題について強い動機をもつ。極端な結果が得られる
例)「エネルギー・環境に関する選択肢」に対する御意見の募集」
・いわゆるパグリックコメント
・氏名・住所・職業・年齢・性別・電話番号・メールアドレス記入必須。8月12日締め切り
※日本では命令等を定める前に必ずパブコメを実施することが行政手続法で定められており、今回のパブコメについても同様の枠組みでなされています
1B. ディスカッショングループ
・自薦による参加
・熟議を行えるが、社会全体の見解を代表しておらず、偏った意見となる
例)「しっかり聞きたい、玄海原発。」放送フォーラムin佐賀県~ 玄海原子力発電所 緊急安全対策 県民説明番組
・2011年6月26日(日)10:40-11:30地元ケーブルテレビ、Ustreamで放映。佐賀県玄海原発2・3号機は定期検査で停止していたが、再開には地元の合意が必要なため企画された番組(経産省主催)
・番組放映中、Fax/メールでも意見を募集
※参加の経緯が不明。さらに「九州電力やらせメール事件」まで起こる騒動に。
2A. 無作為抽出ではない世論調査
・割り当て抽出法
2B. 市民陪審
・自主的参加者により、熟議を行う
例)「エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会」
・2030年シナリオの参考とするため実施。参加希望者を抽選で選び、会場で発言する方法
※熟議というレベルの話し合いが為されるのかどうかは不明
3A. 世論調査
・偏った集団の声ではないが、合理的無知に陥った「生の声」である可能性もある
例)メディアによる世論調査
・読売新聞 2011年4月1-3日実施: 現状維持46%、削減29%、全廃炉12%、増設10%
・読売・BBC 同11月: 今ある原発は利用すべきだが新たに建設すべきでない57%、今ある原発をできるだけ早くすべて廃止すべきだ27%、新たに原発を建設すべきだ6%、
※特に後者の調査についてはかなり疑問を感じます。選択肢が三択になっており、「全廃」と「増設」という両極端の他の選択肢が極めて誘導的な設問になっています。設問の内容として時期と規模が一緒に問われているのは設問づくりの基礎としては落第でしょう。
3B. 討論型世論調査
・無作為抽出と熟議による手法。結論は国民の対話あるいは現実の政策に反映させる
・鏡とろ過をあわせた方法。熟議によって世論を発見するための社会科学実験
例)2030年シナリオについて国民の議論を参考にするため実施
・6月20日に、8月頃にDPを実施すると報道
※DPが本質的に持つ問題でもありますが、資料作成、質疑に参加する専門家の選出における透明性・公正性の確保に十分な期間なのか、という点に疑問を感じます。また、一番の問題として、どの様に何が「参考」にされるのかが極めて不透明です。DPは政策決定の公的なプロセスに組み込まれていないので、都合の悪い結果がでたら使用しない、あるいは都合の良い部分だけ吸い上げるということが容易に為されうるのです。
どうなるか、今後注目が必要です。
4A. レファレンダム民主主義
・憲法改正など重要案件の議決を有権者の投票によって最終決定する制度
例)原発稼働是非に関する住民投票条例案
・6月10日、市民団体が32万人の署名とともに東京都に請求
・東電の原発稼働について賛否を投票し、その結果をもとに都が動く、とする条例案
・6月20日都議会で賛成41、反対82で否決
※これはレファレンダムそのものではなく、それを行うための条例を作る段階の話ですが、否決されて終わりました。
4B. 「熟議の日」Deliberative Day
・選挙前にすべての選挙民がディスカッショングループに分かれて議論
以上で第一章の内容は終わりです(ざっくりと言っておきながら長い…)
DPはアメリカの民主主義、政治意識が色濃く反映された制度だと感じました。
議論により討議グループの合意を形成するのではなく、議論により個人の政治参加意識を明確にする、というのがDPの眼目でしょうか。
DPは従来の制度を完全に代替するものではなく、また社会実験であるともフィシュキンは言っていますが、目的なき(目的不明瞭な)「実験」には注意が必要です。また、フィシュキンはアメリカの熟議システムが歴史と共に形骸化してきたことを述べていますが、DPにもその可能性は十分にある、と私は思います。
6章では中国で実施されたDPが紹介されており、中国においてさえも(?!)DPが従来の政治プロセスに対して正統性があるのか、という疑問が呈されたことが書かれています。この問題はどの国においても存在する課題でしょう。
さておき中国の例は、アメリカ民主主義とは違う流れで中国共産主義とDPの親和性について考えることができそうです。無作為抽出による科学的かつ公平な人民の意見聴取と議論の場、というのはいわゆる民主主義だけではなく、いわゆる共産主義ともマッチしそうです。
また、従来の人民代表大会ではおさまりが効かなくなってきており、新しい方法を地方から模索している中国の姿があるようで大変興味深い事例です。
とまあお隣の国のことはさておいて、日本のエネルギー政策を決める上でDPやその他の方法がどのように使われるのか。
日本の民主主義は今、戦後以来の大実験を行っているといっても過言ではないでしょう。