ジェームズ・マリオン・シムズ(1813-1883米)に関する記事が朝日新聞に掲載されました(2019.6.8)。シムズは出産に伴って引き起こされる膣瘻の手術法を開発するなど、産婦人科として大きな業績を残しました。しかしその手術法は奴隷女性を何度も手術することで得られたものでした。このことが問題視され、ニューヨーク・セントラルパークにあるシムズの像が撤去されたということです。
CBS New York “Controversial Statue Of Dr. J. Marion Sims Removed From Central Park” (2018.4.17)
ただし、像が撤去されたのは2018年の4月17日。この記事の1年近く前です。なぜ今の時期に記事になったのかはわかりません。それはさておき、恥ずかしながら今さら少し調べてみると、このシムズの像の取り扱いが問題になったのは南北戦争、つまり奴隷問題であり、現在の人種差別問題がひとつの発端でした。
「どうして銅像でもめるのか 南北戦争の像の何が問題なのか」 BBC NEWS JAPAN(2017年8月18日)
「「人種差別」と「銅像」の間には緊張関係があった:全米に「偉人の闇を暴く」運動が波及注」COURRiRE Japon(2017年9月2日)
南軍のリー将軍らの銅像を発端としてこのころに議論が始まり、1年ほどかけて決定がなされたのでしょう。
撤去賛成・反対派は以下のような根拠を示しているようです(網羅しているわけではありません)。
- 肯定的評価につながるので撤去すべき
- 差別主義あるいは過去の不適切行為を正当化するために利用されるので撤去すべき
- そもそも指摘されるような事は過去においては問題ではなかったので免責される。撤去すべきではない
- そもそも指摘されるようなことは事実としてなかったので撤去すべきではない
- 大きな功績もあったので撤去すべきではない
- そのような事をしていたら過去の人物の像はすべて撤去しなければならない。従って検討するのは無意味。
これらは他の事例でも見られるパターンのように思われます。
論文もいくつか。意外なことにこれらの論文ではシムズに対して肯定的な見方をしているようです。
“J. Marion Sims, MD: Why He and His Accomplishments Need to Continue to be Recognized a Commentary and Historical Review”
Leonard F.Vernon, Journal of the National Medical Association, onlile 7 (2019)
要約:この総説は、J.マリオン・スミス、彼の名前を冠する膣鏡を発明した、南北戦争前の時代の医師の仕事に新たな展望を提供する。「現代の婦人科の父」となった彼の発明は、膀胱膣瘻治療のための外科的技術として画期的だった。しかし、最近の研究は、彼の技術は黒人奴隷女性を研究対象とすることで完成されたという点で、シムズの暗い面を指摘している。さらに、彼は研究中に麻酔薬を使わなかったことについても批判されている。本稿は、シムズの研究はより広い歴史的文脈で、19世紀と20世紀に行われた他の人体実験の、より広い枠組みの中で理解される必要があると主張する。シムズを歴史から排除しようとする最近の試みは、現代の産科医学の発展において果たした黒人奴隷女性の貢献だけでなく、他の医療処置の発展において黒人たちが果たした重要な役割も取り除くという意図しない結果をもたらす、という強い主張がある。
“The medical ethics of Dr J Marion Sims: a fresh look at the historical record”
L L Wall, J Med Ethics. 2006 Jun; 32(6): 346–350.
要約:膣瘻は19世紀のアメリカ人女性の間で出産時におこる極めて危険な合併症だった。この症状に対して一貫して成功した最初の手術は、アラバマの外科医J. マリオン・スミス博士によって開発された。彼は1845年から1849年にかけて、黒人奴隷女性に一連の実験的手術を行った。無力で同意のない女性に対して、倫理的に受け入れられない人体実験を行うために奴隷制度を利用したとして、多くの現代の研究者はシムズの医療倫理を非難してきた。本稿では、これらの主張を歴史的一次資料を使って概説し、シムズに対して行われた批判にはほとんど根拠がないと結論する。シムズの現代の批評家たちは、膣瘻の犠牲者が経験した大きな苦痛を無視し、19世紀半ばの外科手術への麻酔薬導入に関する論争を無視し、シムズに対する攻撃の歴史的記録を一貫して偽って来た。奴隷にされたアフリカ系アメリカ人女性は、確かに19世紀のアメリカ南部で「vulnerable population」を代表していたが、シムズの元の患者は、当時他に実施可能な治療法がなかった自分の苦痛を治そうとする彼の外科手術に望んで参加していたことを、証拠は示唆している 。