教育プログラム評価を考える

雪の連休2日は、日本語教育プログラムの評価をどう行うかについてのワークショップに参加するために国際基督教大学へ。
さすがに広々としたキャンパスです。

会場はダイアログハウスということでしたが、近づくと食堂があるばかり。

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道行く方にうかがうと、その食堂に入って奥がダイアログハウスとのこと。
確かに。

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テーブルにはキーワードなどが書かれたPOPがありました。

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各机に4つ、6机あったので計24種類という豊富さ!

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実用的にも、雰囲気づくりにもいいアイディアです。機会があればマネさせていただこうかなと思いました。

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さて、内容ですが、ワークショップが扱っていたのは留学生に対する日本語教育なのですが、教育プログラムの評価という点ではどの教育でも参考になるだろうと参加しました。

配布資料には豊富にプログラム評価を設計するためのワークシートが挿入されており、レクチャー→ワーク→テーブルでディスカッション→レクチャーという形で飽きない構成。

教育プログラムを評価する場合、生徒の学習達成度の評価からそれを行うということだけを考えがちです(私もそう)。
ワークショップでは、もちろんその点も話されていましたが、それ以前に、プログラムの目的、教育方法、プログラムの体制や利害関係者、プログラムの利用者など、幅広い要素を的確に分析し、把握する重要性について重点的にお話されていました。

外部の評価者に対するカウンターとして自己評価能力が必要だというお話や、留学生に対する日本語教育は大学内では外様でいまいち存在感を認めてもらっていないため、自己評価をできるようにしてプログラムの質とともに効果をアピールする、という点は、現状のコミュニケーション教育と大きく共通する点かと思いました。

また、日本語教育においては、語学能力だけではなく、異文化の理解、異文化とのコミュニケーションという、なんとも評価しづらい教育目標があるのも、コミュニケーション教育と同じです。

学生の意見収集の方法としては、フォーカスグループインタビューが挙げられ、コーディングを行ってその内容の要点を把握する手法について紹介されました。
一方、アンケートも挙げられていましたが、ルーブリックは特に行われていないとか。

お話された方はハワイ大学の方で、実践・研究のフィールドもアメリカです。
お話からはシステマティックな評価、標準化に対するアメリカ社会の要求がうかがわれ、アメリカンだなぁと思いました。

日本の、それもコミュニケーション教育で同じレベルのものが必要かどうかは、それこそ分析が必要です。
しかし、実現可能かつ妥当な範囲内で自己評価できるようにならないと、コミュニケーション教育やコミュニケーション活動も「講演会しました」「楽しんでもらえました」で終わって、廃墟化への道をじりじりと進んでしまうのではないかと思います。