ゼミメンバーと『ゴジラ-1.0』を見に行きました。成田さんの提案です。
『ゴジラ』といえば、太平洋の核実験によって生まれたというその出自、オキシジェンデストロイヤーというデュアルユース技術など、メンバーの研究テーマともつながります。その時代時代の世相を反映しているという点でも、ゴジラは興味深い作品です。
見終わった後は忘年会もかねて、北大正門前の「駿」でゴジラ談義。この「駿」は成田さんもメンバーだった9期ライティング・編集実習の打ち上げでいった店だったということを思い出しました。
今回のゴジラの全体の印象は、これまでのゴジラ作品と今の時代にあわせて、全方位に70~80点ではまるようにうまく作った作品だと感じました。どこかが尖っているというわけではないですが、押さえるべきところは押さえているという点で、『シン・ゴジラ』とは明らかに違う方向性です。
そして、ゴジラおよび主人公敷島のアイデンティティは核兵器ではなく、太平洋戦争自体にありました。そして、武装解除された国で民間人が、非武装の駆逐艦と民生の機材をつかってどうゴジラを倒すか、これが議論のポイントのひとつでしょう。まぁ結局高雄や震電も出てくるのですが(これは露骨な軍オタサービス)、兵器だった兵器ではないもの(駆逐艦)や、元々兵器ではないもの(フロンガス)を、ゴジラに対する兵器として転用するというのは、オキシジェンデストロイヤーとは対称をなすものです。
つまり、オキシジェンデストロイヤーはゴジラを倒せる希望でもありますが、同時に悪夢でもある。そのような相反する構造は今回の「ゴジラ兵器」にはありません。このあたりは、重くなりすぎず、今の時代に一般受けしやすい物語としてはいいのかもしれません。どう考えても死んでるだろ!という典子の謎の痣が、続編で相反する存在として展開するのか? ビオランテのように…などと思ったり思わなかったり(時代的にバイオテクノロジーを用いる設定には無理があるのでなさそうですが)。
映像的には泳いでいるゴジラが出色の出来でした。いままでもワニのように水中を泳ぐゴジラや、水深がありそうな海でなぜか立っているゴジラは描かれていましたが、きちんと生物らしく、そしてゴジラらしく泳ぐ姿は今回が一番だったように思います。
『オッペンハイマー』も合わせて見たいよねというということを確認して、お開きとなりました。