グリーンイノベーションと科学技術コミュニケーション

科学技術コミュニケーションはどこへ行くのか。
国の科学技術政策に乗って換骨奪胎することを考えると、答えのひとつがグリーイノベーションとの連携だと思っています。
今回の震災でさらにそう考えるようになりました。

技術開発に偏重しているグリーンイノベーションを、社会参加による再発明・普及の仕組みを含めた社会イノベーションに拡張するためには、実践的な科学技術コミュニケーション研究が必要です。

■グリーンイノベーションの課題
そもそも、グリーンイノベーションとはライフイノベーションとともに、鳩山政権が2009年に打ち出した日本の成長戦略の柱です。この2本柱は科学技術研究においても当然重視され、学振による「最先端・次世代研究開発支援プログラム」が2010年度から2015年度まで実施されています。

しかしこのイノベーション政策における「イノベーション」には「革新的な機能をもつモノ」というニュアンスが抜きがたく染み付いているように思われます。
ちなみにロジャーズの定義ではイノベーションは「新しいと知覚されるアイディア、習慣、対象物」であり、モノだけではなく、「コト」もその範疇に入ります。

例えば、遡って安倍政権が打ち出した「イノベーション25」を見てみます。
何を思ってつくられたのか、ゆるキャラの「イノベー君」が衝撃的ですが、それはさておき、「イノベーション25のポイント」では確かに「社会システムの改革戦略」と「技術革新戦略」の両面が必要と示してあります。

しかし実際にはその記述の大半は法や、研究・教育機関の制度改革で示されており、最後に付け足しのように以下のように書かれています。

国民の意識改革の促進
* 表彰制度等、各種普及、啓発活動の検討・実施

この記述の貧弱さが示すとおり、イノベーション政策は法整備、R&D、知的財産権、専門教育など、技術開発と制度としての社会設計の側面や、イノベーションの一次生産の側面に大きく偏っているように思えます。

そして「最先端・次世代」のグリーンイノベーションの採択件数を見てみると、その社会制度設計でさえも、以下のようにわずかな割合でしかありません。
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理工系   103件
生物系    32件
人文社会系  6件
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■太陽光発電普及促進のための制度設計
ロジャーズを引くまでもなく、どんなによいモノであっても、普及の段階で消え去って行ったモノは数知れず。
その原因は技術的な側面が原因の場合もありますが、採用する社会・個々人が原因の場合も当然あります。

もちろん言うまでもなく法整備や教育制度は非常に重要です。
日本は太陽光発電の研究・生産は世界に先駆けており、生産量はシャープが世界一のシェアを誇っていましたが、2007年にはその地位をドイツのQセルズに明け渡しています。また累積導入量についても現在はドイツ、スペインに抜かれています(下図,TRENDS IN PHOTOVOLTAIC APPLICATIONS 2009より作成)。

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これは2005年に設置補助を打ち切った政策によって普及の加速に失敗したためです。
補助事業は2009年から再開され、国内出荷量が大幅な増加に転じました。なお、2005年以前は単なる設置時に補助金を助成する制度でしたが、2009年からのはFIT(フィードインタリフ)による余剰電力買取を行い、設置費用を回収できるようにしている点が大きな違いです。
(実は3月11日には、全量固定価格買い取り制度の元となる法案を閣議決定しています。来年度から全量買い取りを実施するため国会に提出する予定だそうですが、どうなるか・・・)

ちなみにスペインは2008年まで爆発的に導入がすすみましたが2009年には年度毎導入量が激減(下図,TRENDS IN PHOTOVOLTAIC APPLICATIONS 2009より作成)。これも投機に流れてしまった制度がまずかったからと言われています。
ちなみに日本も補助金がなくなった2007、2008年は導入量が減少しています。

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■対話なき想定、語られてこなかったエネルギーインフラ
では政策や制度が機能すれば、エネルギーシステムが「適切に」普及し、持続的に存在しえるのかという問題があります。
原子力発電は供給電力の約3割を占め、日本の原子力産業は海外のメーカーを買収し、国をあげて輸出を目指すなど、そういった面では成功している、といえます。

しかし、今回、あらためてこういった普及のありかた対する問題意識が、広く噴出したように思えます。
イノベーション25にもどりますが、実際に採用する社会(消費する人々)に対しては表彰、啓発活動を行うのみという構想しかでないこの素朴さには、「啓蒙主義」・欠如モデルにも通じる大きな問題が含まれています。

例えば今回「想定外」という言葉が出て、またそれに対する批判がなされました。
しかし基準としての「想定」を作成していなかったり、そのレベルが誤っていたことが問題の本質ではないように思えます。
なぜなら「想定外は無いように想定する」と言われたりしますが、それでは想定のレベルは無限に拡大することになります。「想定」を基準の内容としてのみ論じる限り「想定外がない想定」というのは存在しえないことになります。

そもそも、想定の第一段階は科学的見地に基づいて行われるべきものですが、その基準をどこで切るかは、コストとリスクをどう見積もるかによって社会的に決定されるものであり、その見積もりは当然ステークホルダーによって異なってきます。
つまり、その見積もりをあわせる共同作業としての想定がなかったのが問題なのです。これはコミュニケーションない人同士の間に「常識」など存在しないのと同じです。
偏った社会で決定された想定が崩れたとき、無自覚に想定外という言葉が氾濫し、同様にそれに対する批判も氾濫し、これまでの仕組みに一気に決定的・否定的な流れが生じるのです。

加えて、事故のようなカタストロフにのみ「想定すべきこと」があるのではありません。
原子力発電所の場合、原発労働者、地元への補助金政策、地元コミュニティの分断など、安定的電力供給の影にある社会的不公正に目をつぶってきた問題があります。

この責任は専門家や、国民の信託を受けた政治にあるのはもちろんですが、「想定のずれ」がおきたのはもう一方の私たち全員の関心と参加の低さ、それを支援する新しい社会的仕組みの欠如にもあると言わざると得ません。

■再生可能エネルギーはユートピアをもたらすのか?
このように、あらためて原子力発電についてあらゆることが語られ、そのカウンターとして、グリーンイノベーションの中核でもある太陽光発電や風力発電などの新エネルギーや燃料電池についても注目があつまっています。

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確かに再生可能エネルギーは原子力発電所における放射性物質のような問題ありませんし、ペイバックタイムこえて発電をおこなえば、従来発電の導入よりもCO2削減にもなります。
だからといって今後のエネルギー政策について、再生可能エネルギーありきで導入普及をめざしては、構造としては原子力発電と同じことになります。

新エネルギーにはどのような社会的問題が内在しているのか、そして国のエネルギー需給と折り合いをつけるには何が必要かを前もって明確にする必要があります。
技術的な意味でのリスクでは太陽光発電は大きくはないかもしれませんが、これまでと異なる技術的・社会的特徴のため、問題が潜在している危険性もあります。

例えば、原子力発電に限らず、現在電力を担っているシステムには、大規模大出力電源による一方向的配電を独占的電気事業者が担い、発電方法に限らず、(一般家庭の場合)時間に関係なく同価格で安定供給するというシステムになっています。

太陽光発電や風力発電についてもメガソーラーやウィンドファームと呼ばれる大規模発電施設の導入がおこなわれていますが、一方で一般住宅等に設置する分散型もあるのがこれまでにない特徴です。
特に日本ではこれが顕著で、集中型が10MWなのに対し、分散型が2521MWになっています(2009年時、系統連携されているもののみ)。

もうひとつの特徴は、家庭用の燃料電池や太陽電池は、車のシートベルトのように規制によって強制的に導入されるものではなく、個人による選択があるという点です。
この選択には、経済的に比較的余裕がある人とそうでない人では当然差があり、導入者への補助はFITにより国民全体に薄く負担することになります。

最後の特徴はインフラへの関わりの違いです。分散型電源の効率のよい利用には、スマートグリッドなど情報通信技術によって、消費電力、発電量、時間、使用機器などのデータを共有する必要があります。
これは大規模発電とは異なる、あらたな巨大インフラへの依存でもあります。

■エネルギーの意識化
このように、家庭に設置された分散型電源には、個人のものであると同時に、社会のものであるという側面が強く、これらの発電システムを導入した人は消費者ではなく、生産者として責任をもつことになり、これまでのような傍観者としての立場ではいられなくなると考えられます。

これらの問題を掘り出し、グリーンイノベーションの普及の是非について議論する新しいコトを作り出す必要があります。
それはフレイレの言う「意識化」と近いものか、と思っています。
私たちが掛川市で行っている行政サービスなどによる地域エネルギーコミュニティの創出はそういった基盤がありますが、果たして実質化できるかどうか、あらためて再構築する必要があります。

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(写真:ドイツ製のソーラーミニカー)

今の状況でここぞとばかり声高に新エネルギーを叫ぶのは少々気が引けますし、原子力発電への依存もその是非とは別に、すぐにやめられるものではありません。
原子力はその起源や技術的な複雑さから、個人が関与することについては結局は無力でした。
しかし、分散型電源は、個人が選択できるという意味で、原子力も含めたエネルギーを意識化する手がかりとしてひとつの可能性があると考えています。

■グリーンイノベーションと科学技術コミュニケーション
ここまで長々かいてきたことの大半は、エネルギーや原発などの問題で昔から語られてきたことですし、GMやBSEとはより高い相同性があります。
今回の事例についても、すでに関連の分野の方々は動き始めているようです。
研究者というのは必ずしもトップダウンの科学技術政策がなくとも動くものですが、グリーンイノベーションとライフイノベーションを柱とする指針、そして今回日本が得た貴重な経験がある今、国はそこに科学技術コミュニケーションが重要な役割を果たす可能性があることを理解し、その方針も示すべきかと思います。

第4期科学技術基本計画でも科学技術コミュニケーションは重視されるようです。
しかし「科学をわかりやすく伝える」「研究成果の公表」といった隠蔽された啓蒙主義ではなく、具体的な課題に結びついた機能として、イノベーションと一体的に科学技術コミュニケーションを推進する方向が望まれます。

この「科学技術コミュニケーション」は、まさに学際的なものになるでしょう。
従来の科学技術コミュニケーションは、ざっくり言ってしまえば理学系から産み落とされた、ディシプリンの間的存在です。
これを確立させようと、学会を作ってもあまり意味がないように思えます。ポストノーマルサイエンスやトランスサイエンスという言葉で語られるように、特定のディシプリンで現実の事象は区切れないからです。
科学技術コミュニケーションはそもそも問題解決のために集まり、そしてまた分かれるモード2的な生産活動だと思われます。

エネルギーに関するこの課題に多様な分野から人々が集合することで、初めて科学技術コミュニケーションの新たな側面が始まるのではないか、と思います。
その時にはわざわざ「科学技術コミュニケーション」という名前はなくなるのかもしれません。

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2011.4.23
各所から「読みづらい」「なんだかわからん」とおしかりを受けたので、とりあえず見出しをつけることにしました。内容は相変わらずです。