科学技術コミュニケーション教育・研究について情報収集のためCoSTEP修了式へ。
昨年度修了式は3月13日に予定されており、私も12日に札幌入りしていたのですが、3.11で急遽中止になったのでした。
あれから一年。
参加目的の一つはポスター発表の方々とのディスカッションです。
日本で行われたDP(討論型世論調査)の全てでモデレーターをつとめられた方が、札幌で行われたDPにも参加し、モデレータ/ファシリテーターの観点からまとめていました。
DPのモデレータと、一般的なグループディスカッションにおけるファシリテーターはかなり(表面的な)性格が違います。
DPをうまく実施するには、DPモデレータを増やす必要もあるわけですが課題も多く、それを明らかにすることが必要なわけです。
Oさんとは、DPと科学技術コミュニケーションについても議論できました。
北大のDPは、科学技術コミュニケーションの手法として検討するという研究スタンスがあります(科学技術への市民参加に「討論型世論調査」の手法を活かす可能性に関する研究)。
科学技術に関する話題を扱うDPに特異性はあるのか?
一回しかDPに参加したことはありませんが、特異性があるとすれば(あまり強くあるとはおもってはいないが)ここではないか?感じたことをOさんにぶつけてみました。
1.専門家への全体質問でのやりとり
専門的な情報が多く、十分にやりとりできないため一方的な質疑になりやすい?
→ 年金などでも同じ
2.質問の方向性
専門家にぶつける二つ目の質問(今後どうするか)に、専門家による技術・研究の改善という方向と、専門家周囲によるその規制という社会的方向のふたつがあるが、前者に偏りがち?
→ 年金でも前者の話はあった。大きく違うということはなく、トランスサイエンスの問題なので概ね同様では
そもそも科学技術の特異性に対する神話が科学側の人間にある気もしますが、議論していて、もし科学技術DPに特異性があるとすれば、狭義の意味でのDPそのものではなく、DPとその他の社会システムとの連結性にあるのではないかと思いました。
3.DPと科学者のチャンネル
科学研究は市民の投票行動と直接的にリンクしていません。科学技術政策はそれを担う政治家とは直接的に投票でつながっていますが、科学者は政治家・科学技術政策でワンクッションはさまれています。
これが科学技術DPとその他のDPとの違いでしょうか?
科学技術への市民参加手法として、直接的に科学コミュニティにインパクトを与えるためには、政策の一つに明確な科学政策があること、政策側と科学者側のチャンネルがあることが必要でしょう。これによって市民と科学者がDPというチャンネルでつながるのではなかと思われます。
手法開発研究として取り組むとすればそのチャンネルづくりが重要なのかもしれません。
午後はシンポジウムです。
講演者は以下の三氏
・福田直子(NHK出版)
・生重幸恵(NOP法人スクール・アドバイス・ネットワーク)
・常見陽平(人材コンサルタント)
不明にしてお名前は存じ上げなかったのですが、福田さんは平川秀行先生の『科学は誰のものか』や、勝川敏雄先生の『日本の魚は大丈夫か』の編集をされており、また、常見さんは最近では朝日新聞の社説「成人の日に―尾崎豊を知っているか」へのコメント(「成人式はバカと暇人のもの」 若者に「尾崎豊」を強要するのはやめなさい, BLOGOS)で有名で、ああ、あの方々か、と
生重さんは学校教育の支援を通して地域の活性化にとりくんでおり、私がやっている活動の参考にもなりました。
修了生発表の最後には、CoSTEP代表の杉山先生が声をかけて、昨年度履修生も檀上にあがっての修了式になったのが印象的でした。
おめでとうございます。