The Age of Terrorism, The End of Chemical Weapon and The Rise of Biotechnology

  • 2018年7月7日

昨日、オウム事件に関わった7名に対して死刑が執行されました。国家ではない組織が化学物質を用いて大規模な攻撃を行った事例として、世界的にも極めて大きな出来事でした。

その経緯について、上裕史浩や、今回刑が執行された早川紀代秀、中川智正、土谷正実にもインタビューしてまとめた報告書があります。専門知識をもつ者と科学技術の両義性を考える上で必読と言えるかもしれません。

 

『オウム真理教:洞察 ― テロリスト達はいかにして生物・化学兵器を開発したか』(2012, 2nd ed.)

原題:Aum Shinrikyo: Insights Into How Terrorists Develop Biological and Chemical Weapons

 

本報告書はアメリカの安全保障系のシンクタンクCenter for New American Securityが作成したもので、執筆者には日本人も含まれています。また、協力として、JST-RISTEXや、ランド研究所、アメリカ国家安全保障会議のスタッフも名を連ねています。

その目的は、化学・生物兵器を開発・使用しようとするグループがどのような試みをし、どのような失敗と成功をするのかを理解し、起こり得る状況に対処すること、とあります。調査と分析によって得られた示唆10点が冒頭にまとめられています。その中から、技術的・人的問題からサリンやVXなどの化学兵器の実用を可能にしたのに対し、炭疽菌やボツリヌス菌などの生物兵器の開発には失敗した点に注目したいと思います。

生物兵器の開発・使用が難しい技術的理由についていくつか述べられています。

  • 製造に理論的知識(Techne)だけではなく、暗黙的な実地的知識(Metis)が必要
  • 大量生産、安定的保管、効果を及ぼすための運搬システムの実用化が困難
  • 効果の測定が困難

Metisに言及しているのが面白いですが、これらは従来言われていたことと概ね共通しています。Metisにも関連して、人的要因としては、化学兵器を担当した土谷正実(筑波大博士中退/オウム第二厚生省大臣)の専門性が高かったのに対し、生物兵器を担当した遠藤誠一(札幌北高→帯畜→京大博士中退/オウム第一厚生省大臣)は必ずしもそうではなかった、とまとめられています。その理由は本来の専門がウィルスであり細菌ではなかったことや、宗教的な地位の高さも勘案されて研究担当についていたこと等が挙げられています。また、オウムは全体的に一貫した方針がなく、隠蔽しなければならない状況もあり、場当たり的、間に合わせ的に研究計画を進めていた点も、結果的に幸運に作用したようです。

 

しかし、もし現在の技術があったらどうなっていたでしょうか。もちろん、ゲノム編集等の技術があるからといって文字通り「誰にでも簡単にできる」というわけではありません。また、当時に比べ現在の病原菌・強毒性ウイルス管理のセキュリティは格段に厳しくなっています。が、ハードルが下がっているのは事実でしょう。

戦場で既に使われた大量破壊兵器である核兵器、化学兵器と比べ、生物兵器はその技術的ハードルの高さから開発や使用が遅れ、そのことが逆に生物兵器禁止条約(1975)の早さにもつながっています。生物兵器の開発、抑止と発展のコースは核や化学兵器と異なっており、正に今、あらたな局面にあるということなのでしょう。

近年のデュアルユース議論は生命科学を中心とした議論が多く、化学兵器のハードルの低さと実現可能性の高さに比べて、生物兵器が過大に扱われているように若干感じていました。しかし、単なる技術の発展が注目されているのではなく、このような社会状況の展開コースの違いに対する反応だ、と考えることもできそうです。

 

将来起こり得る事態を想定するために、既に起きた事例を明らかにする意義は極めて大きいのですが、オウムによる化学・生物兵器の開発の詳細は完全に解明されていません。これは、オウムが担当者以外に情報を共有させず細かく分断していた、というセキュリティの古典的手段を取っていたからでもあります(ただしそれだと憶測や過度の競争、問題発生時の不手際なども生じる)。また、遠藤誠一が証言を拒んだのも原因の一つです。本報告書でも彼の証言はありません。報告書は、炭疽菌をどこから入手したのかについて、DARPAスタッフの示唆を受けての仮説と断りながらも、帯広畜産大学からではないか、という説を唱えています。身近な大学の名前がでると現実感がわいてきます。

ボツリヌス菌の入手経路についても不明です。彼は、培養されたボツリヌス菌を入手するのではなく、自然環境下から採取しようとしたとされています。その場所はどこなのか、証言が変わったり証言者によって異なるのですが、石狩川流域を筆頭に、十勝川、礼文島、奥尻島、阿寒湖そして国後島まであげられています。国後島はさておき、どこも遠藤の出身地である北海道です。報告書も「遠藤誠一の現場でのサンプル採取戦略は、素朴かつ思いつきであるようにも見える」と書いています。これは既に述べたようにオウムの研究の特徴の一例でもあります。しかし一方で、なんだかDIYバイオ的だな…と思ってしまいました。

 

以下の年表を眺めると、オウムの時代は、冷戦終結後のテロの時代であり、化学兵器が使用されると同時に、その制限のための枠組みがようやく出来た時代であり、そして生命科学の本格的な躍進・拡散の時代の始まりでもあるように思えます。

 

1984年 2月 オウム真理教の前身、株式会社オウム設立

1985年 6月 化学兵器拡散防止のための国際的輸出管理体制「オーストラリアグループ」発足

1988年 8月20日 イラン・イラク戦争停戦(1980~)。化学兵器が頻繁に使用される

1991年12月25日 ソ連崩壊・冷戦終結

1994年 6月27日 松本サリン事件

1995年 3月20日 地下鉄サリン事件・22日オウム強制捜査

1997年 4月29日 化学兵器禁止条約発効

2001年 9月18日 米炭疽菌テロ

2012年 5月 2日 病原性鳥インフルエンザウイルスの哺乳類への感染能付与論文発表

2018年 1月19日 馬天然痘ウイルスの人工合成論文発表

2018年 7月 6日 松本智津夫、新実智光、早川紀代秀、井上嘉浩、中川智正、遠藤誠一、土谷正実に死刑執行