科学技術史特論2018-11 中東と化学兵器

11回目となる授業では、10章 “Chemical and Biological Weapons Export Controls and the ‘Web of Prevention”を読みました。執筆したのはオーストラリア防衛科学技術機構の核・生物・化学兵器管理を担当するロバートJマシュー。担当はCさん。

 

この章では、80年代からの化学兵器の拡散防止に関しての国際的規制の背景についてまとめられています。1980年にイランイラク戦争が始まりますが、イラクは西欧諸国から前駆物質や技術を入手してマスタードガスやタブン等の化学兵器を開発・使用していました。そこでオーストラリアを議長国として輸出規制に関する国際的な枠組み「オーストラリアグループ」が作られました。しかし各国のリストが統一されていないために、イラクは様々な国から調達することで、実質的にその拡散防止網を無効化しました。それに対してオーストラリアグループは徐々に制度を充実させていきます。そしてCWCも同時期に成立していくわけです。以上の流れを5期にわけて記述しています。

 

genesis (March 1984-May 1985)

              イランイラク戦争での化学兵器使用。オーストラリアグループ活動開始

early days (June 1985-1988)

              初回会合開催。リストの整備

getting serious (1989-1993)

              化学兵器の大規模使用「ハラブジャ事件」(1988.3)。湾岸戦争

consolidation (1994-2000)

              化学兵器禁止条約(1993署名・1997発効)

post-9.11 (2001-present)

              炭疽菌テロ。イラク戦争

(今年はハラブジャ事件から30年)<AFP>

(イラク戦争の開戦理由は大量破壊兵器の保持でした。しかし実際は湾岸戦争後に破棄されていました)<The New York Times>

 

ディスカッションでは以下の疑問がでました。

  • なぜ当初オーストラリアグループでは化学兵器を扱っていたのが、生物兵器を扱うようになったのか

→実際の使用が化学兵器だったため。ただし生物兵器も開発しており、使用の可能性もあるため生物兵器にも拡大していった(ジュネーブ条約や生物兵器禁止条約で生物兵器の使用・開発・保持については既に禁止)

 

  • オーストラリアグループはなぜ”informal”なのか?

(会合はinformalであり、協定も法的拘束力がないinformalなもの。オーストラリアグループのウェブサイトにも以下のように書かれています)

The Australia Group is an informal arrangement which aims to allow exporting or transshipping countries to minimise the risk of assisting chemical and biological weapon (CBW) proliferation.

→本書では、オーストラリアグループ発足当初、東側諸国や非同盟諸国に、化学兵器削減のための会議に消極的だ、という誤解を与えないようにインフォーマルな会合・協定にしたとありました。別な枠組みを作る事で議論やリソースが拡散することが消極的とみなされる、ということでしょうか。

また、インフォーマルで法的拘束力がないミーティングや協定であっても、軽んじられているわけではなく、有効な効果も及ぼしています。このあたり、参加メンバー全員に国際政治の基礎知識が欠如してるなぁ…となったのでした。