『本質から考え行動する科学技術者倫理』

技術者倫理と似ているようで違うところもある科学者倫理。本書『本質から考える科学技術者倫理』金沢工業大学・科学技術応用倫理研究所 編(白桃書房2022)は、企業のコンプライアンスから研究不正までをカバーし、やさしく記述されています。

注目は5章「研究開発の倫理」の最後の節「科学研究の利用の両義性(デュアルユース)」。ここでのデュアルユースは「軍事転用の恐れがあるために管理の対象とされる民生技術のこと」とされています。つまり軍民両用性、もう少し狭く言えばスピンオン、軍事研究に絞った定義といえるでしょう。この考え方は「デュアルユースを科学研究の利用の両義性として一般的に理解すると、その対象は際限なく拡大されます(中略)あくまで軍事転用を前提とした研究であるということをきちんと認識しなければいけません」という記述にも現れています。

確かに対象が広すぎる概念は議論や対応が曖昧になっていくので、限定し、腑分けすることでその問題を精緻にしていくことが重要です。一方で、軍事技術の民生技術への転用、スピンオフとしてのデュアルユースは、民間市場をもつことで軍事部門を維持することが可能になるという点で、軍事的な貢献をもたらす作用があります。こういった別のデュアルユースの側面も別途議論しなければならないでしょう(何でもかんでもデュアルユースでくくれちゃうのがデュアルユースの危ないところ)。

閑話休題。本書では、意図と予見によって倫理的責任を区別する二重結果論にもとづいてデュアルユースを論じているのが重要です。つまり、軍事的性格を有した組織からの資金提供を研究者が受けるとき、研究者は兵器開発を意図しているわけではない。しかし兵器開発に使われる可能性は十分に予見できる。このように、意図していないが予見できるという点から、軍事的性格を有している組織からの資金提供、デュアルユース研究には大きな社会的責任が生じる、というわけです。本書は、ワクチン・感染症研究、合成生物学といった用途両義性としてのデュアルユースには直接ふれていません。しかし、上記の二重結果論は用途両義性に関しても参考になる枠組みでしょう(とはいえ予見はより困難でありそのまま使うのは難しい)。

ちなみに5章はデュアルユースのほかに、研究不正を扱っています。これは2013年1月の学術会議声明『科学者の行動規範(改訂版)』をふまえてのことでしょうか。この改訂版では、研究不正と科学者の責任とデュアルユース問題が追加されました。これは度重なる研究不正事件と、2011年の東日本大震災、そして2011-12年の河岡・フーシェの鳥インフルエンザ論文差し止め問題を受けての対応でした。

この『行動規範(改訂版)』は、それに先立ってまとめられた2012年の学術会議報告『科学・技術のデュアルユース問題に関する検討報告』を踏まえて作成されたと思われます。2012年報告は、まさに鳥インフル問題の渦中でまとめられており、結果最終的にバイオテロ等を中心とした内容になっています。つまり2012年報告でも2013年声明でも軍民両用性、軍事転用、軍事研究は論点として後退していています。

『行動規範(改訂版)』で追記されたのは以下

(科学研究の利用の両義性)6 科学者は、自らの研究の成果が、科学者自身の意図に反して、破壊的行為に悪用される可能性もあることを認識し、研究の実施、成果の公表にあたっては、社会に許容される適切な手段と方法を選択する。

この前半部は上述の二重結果論に基づいているでしょう。後半の「社会に許容される適切な手段」とは何かが難しいところですが、その選択には「社会」を巻き込む必要がある、といっているでしょうし、それは強く同意するところです。デュアルユース問題はさまざまな専門分野間のコミュニケーションを必要とする点とあわせて、デュアルユース問題はやはり科学技術コミュニケーションの問題なわけです。取り留めのない内容になりましたが以上。