川本は以前から小熊捍(1885-1971)の遺伝学研究と社会との関わりについて、暇を見つけて細々と調べています。しかし何の目標も期限もなくやっていてもしょうがない。そして大まかな流れが把握できてきた(逆にどう整理してどこを深堀していけばいいかわからなくなってきた)ということもあり、一度科学史家である杉山滋郎先生にゼミに参加していただき、ご意見をいただく機会を6月18日つくりました。
そして先日の7月5日に、杉山先生の研究や発表についてお話をしていただきました。いつものゼミメンバー以外にも関心を持っている方をおまねきしての拡大ゼミです。
杉山先生はいくつも著書を出されていますが、今回題材としてあがったのは以下の4冊です(2は時間の関係でさらっと)。
- 中谷宇吉郎:人の役に立つ研究をせよ(ミネルヴァ書房2015)
世界で初めて雪の結晶を人工的につくったことや、寺田門下の随筆家として有名な中谷宇吉郎。彼はそれだけではない、世の中にあわせて研究や社会的発信に邁進するバイタリティあふれる人物だった。 - 軍事研究の戦後史:科学者はどう向き合ってきたか(ミネルヴァ書房2017)
学術界を揺るがした2015年の防衛装備庁安全保障技術研究推進制度による「軍事/デュアルユース研究」。戦後この問題に学術界はどのように向き合い、関わってきたのか。歴史を紐解く。 - 重水素とトリチウムの社会史:歴史を左右してきた水素のなかま(2021)
ALPS処理水問題で話題になったトリチウム。トリチウムや重水素とはそもそも何なのか。歴史のなかからその社会的役割を明らかにしていく。 - 福山甚之助と新聞「家庭」:1920年代の札幌・北海道(2023)
北海道帝国大学出身の福山が発行していた札幌のミニコミ紙ともいえる「家庭」。ペンネームしか分からない多数の筆者は誰か? それらを解明しつつ、当時の世相や人的ネットワークを浮き上がらせる。
『福山甚之助』はアプローチとしては『北の科学者群像:理学モノグラフ1947-1950』(北大出版会2005)に近いように思いました。前者では「家庭」、後者では「理学モノグラフ」という媒体を中心に、それに関わった人々を掘り下げることで当時の社会や研究を書き表しています。どちらもいわゆる専門的な内容を専門家に伝えるような科学の内部的な活動ではなく、外部との関わりに観点があります。これは『中谷宇吉郎』でも同様です。これはやはり杉山先生の関心領域であり、杉山先生自身の研究・実践スタイルと強く結びついていると私には思えます。
杉山先生はこれら3冊を事例に、どういう動機で取り組んだのか、どのようにアウトプットしたのかをお話されました。
研究の動機にはCuriosity-drivenとSocialy-drivenとJournal-drivenがあるとして、杉山先生は基本的にCuriosity-drivenで調べるものの、それがSocialy-drivenの側面がでてくる場合があり、特にこのケースは『重水素とトチリウムの社会史』が該当するとのことでした。興味深かったのは、『重水素』を出版するときに、出版社側から処理水問題について立場を鮮明にしてほしいというニーズがあったことでした。
社会的な関心を集め、話題になるということは、学術的な内容に作用が働くということだなと改めて実感。結局杉山先生はAmazonでの電子書籍とオンデマンド出版という手段をとります。そのメリットは、自分の考えたとおりにまとめられる点と、修正・差し替えも簡単にできる点、取り下げることもできるといった点で、デメリットは権威がない、基本的に書評の対象外で宣伝が弱いなどですが、私が興味深かったのはページ数の問題です。
電子書籍だとページ数はそこまで制限がないのかな、と漠然と思っていましたが、やはり制作費がかかりますし、オンデマンド出版もする場合のコストを上乗せすると販売額が高くなってきます。ページ数との戦いは当然通常の出版ではかなり大きな制約条件になっており、『中谷宇吉郎』では800枚の原稿を最終的に400枚にしぼって出版したそうです。伊藤憲二先生の『励起:仁科芳雄と日本の現代物理学』(みすず書房2023)上下巻もちょっと話題に。あらためてあの本はとんでもないな…
どんどん調べて枝葉の情報が増えていくけど載せられない。書いたものを削る。これは実際調べて書くプロセスで常に悩ませられる事柄です。杉山先生は本編に載せられなかった情報や、詳細な文献情報などはブログに掲載する手を使いました。私も時々参考にしています(下記リンク参照)。この方法は、書きたい欲・載せたい欲を成仏させるために有効ですし、宣伝にもつながるので私もやっていこうかなと思いました。
当然といえば当然かもしれませんが、やはり誰に読んでもらうかという視点は常に持たないといけません。マニアックすぎる人物を扱っても関心を持ってもらうのは難しい。狭い分野だけを扱っても同様。Curiosity-drivenはあってもよいが、それが他者のCuriosityにも引っかからないといけない。これらは究極的には論文であっても同じかもしれませんが、やはり出版はより強くその点を認識しないといけないという基本を、改めて認識しました。小熊もいろいろと切り口があるのですが、どうすべきか…
今回のゼミには科学史が専門の方や、物理学史に関心がある学生さんも来てくれたので、その点でも今回はよい機会になりました。また機会を設けられたらと考えています。