STSなう

科学技術社会論学会、略してSTS学会。
第10回年次大会が3,4日に京大で開催されました。

震災・原発事故後、激論がかわされたSTS、3.11後初めての学会で今何が語られるか?
おそらく歴史的な大会になると思われましたが、私は初日は授業があったので2日目のみ参加。

初日の発表ではセッション「幹細胞・再生医療研究をめぐるSTS的研究の展開」の「意識調査から見る人工/生命観」と、セッション「科学技術のエートス-そのあり方と倫理を再考する」の「障害のある人の生と科学技術のありかたー福祉もの作りの実践から」が見られなかったのが残念。
前者は私と同じ分析手法という点で、後者は我々も高齢者向け自転車の社会技術研究をはじめているためそのSTS的観点という意味で参考になりそうです。

初日のハイライトだった(のではと想像する)「東日本大震災と科学技術社会論:今後の学的貢献を検討するための省察」。そうそうたるSTS界の研究者が勢揃い。
STS研究の今についてどのような議論があったのか興味深い所です。
その後の事務局企画シンポジウムでは、相当議論がおこったととか。

なんてことをツイッターでちらほら見つつ、乗ってみたかったいまどきの豪華深夜バス「グランシアファースト」で早朝に京都入り。京都駅近くにラウンジもあり、とても快適でした。

京都は予想通り寒かった。会場は吉田南キャンパスの総合人間学部棟。

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■原子力問題とSTS
まずはじめに参加したセッションは「原子力問題に関わってきた研究者にとっての福島」
・「原子力発電と環境人種差別」(石川徳子、明治大)
原子力政策は軍事・国策と密接につながり、植民地主義的な側面を多く残している。先住民の居留地と500mしか離れていない米国のプレイリーアイランド原発の事例から。今も十分に改善されていないというお話。
 「米国先住民族と核廃棄物」(明石書店、2004)というご著書もあるようです。

・「緊急時における科学的助言のあり方について」(佐藤靖、JST)
原子力災害の対応において専門家がばらばらに発信しており、組織的関与が不十分だったことが問題点だとして、海外の事例を紹介。英国はSAGE (Scientific Advisory Group on Emergency) が政府内に組織され、インフルエンザ(2009)、アイスランド噴火(2010)、福島第一(2011)で実績を残している。王立協会はSAGEと一線を画し、緊急時に対応する立場はとらない。行動規範やメンバー選定の方法など。
現在日本でも検討を進めているとのことで、どうなるか興味深いです。

・「『原子力工学者』の一人として事故後に感じた困難さと課題」(小田卓司、、東大)
・「社会科学者が目にした『原子力工学者』の『苦悩』」(寿楽浩太、東大)
原子力工学関連研究に携わる方の率直な振り返りとSTSへの期待、そして米国と日本における科学者の対応の違いが報告されました。
原子力関連分野の研究者とSTS研究者の間のすれ違い(やや大げさに言うと「STSは科学者・工学者を責めている」といったニュアンスのやりとり)をやや感じました。
このようなすれ違いはツイッター上でもよく見られることですが、今回の学会における議論に限らず、STSを実際に社会の機能として成立させるためには重要な課題でしょう。
STSはそもそも領域横断的分野なので、こういった工学者の方に来ていただき率直に議論していただけるのは大変ありがたいことです。もっと来ていただけるようなテーマ設定が今後も必要なのだろうと感じました。

■市民参加によるテクノロジーアセスメント
次に参加したセッションは「テクノロジーアセスメント・市民参加1」。
・「GM juryを援用したGMどうみん議会の報告」(吉田省子、北海道大学)
北海道のGM作物条例見直しのパブリックコメントにあわせて10月22日、23日に実施した市民討論会「GMどうみん議会」。主催者の方々はこれまでもGMに関してコンセンサス会議を開くなど継続的にこの問題と手法に取り組んでいらっしゃいます。行政をまきこんで反映させることをゴールとして明確化している点がコンセンサス会議も今回の市民陪審も大きな特徴。
ちなみにGM juryについてはこちら⇒”GM jury” ニューキャッスル大 PEALS(Policy Ethics and Life Science)

・「科学技術への市民参加に「討論型世論調査」の手法を活かす可能性から手法の設計を中心に」(三上直之他、北海道大学)
・「市民はBSEをめぐる諸問題についてどのように意見を変容させたか~討論型世論調査の結果を踏まえて」(斉藤健他、北海道大学)
討論型世論調査(DP)を科学技術コミュニケーションのあらたな手法として私も注目してきました(11月5日の実施の様子についてのエントリはこちら⇒DP見学記その1その2)。その結果の概要について報告がされました。
札幌市内3000名を無作為抽出して質問紙調査を行い、討論イベントへの参加を呼び掛けたところ、400名が希望したそうです。約13%は私には思ったより高いように思えました。
そのうち性別年齢を札幌市の人口構成とほぼ同じにした150名が最終的に参加。
基本属性だけではなく、そもそもどういった関心傾向を持つ人が参加したのかが気になるところでしたが、「食品は100%安全であるべきか」という質問に対する回答パターンは、調査全体とイベント参加者では同様だったとのことです。
また、討議後に実施したアンケートと討議前に実施したアンケートを比較すると、「全頭検査は必要と思うか」という質問に対しては必要ないと回答する人(7段階評定で1-3)が増え、必要と回答する人(同5-7)が減ったとのことでした。
これは当日参加して議論を見ていた印象とも一致しています。
しかし、その他の結果を見ると、もともと調査全体と比較して、イベントに参加した人は専門家に対する信頼が高い人が多いような印象を受けました。母集団の意見傾向と参加者の意見傾向の違いを把握しておくことは重要でしょう。
DPについては実践と研究の両面でこれからも要チェックです。

・「新しいコミュニティを創る社会技術-オンデマンド交通技術の社会技術的展開」(鬼頭秀一、東大)
おもわぬ収穫だったのは上記発表。東大オンデマンドバスのプロジェクトは知っていましたが、鬼頭先生も加わってSTS、環境倫理の観点でも取り組まれていたとは。
バスを「走る談話室」として捉え、従来切り捨てられてきたモビリティの機能を見出していくという点は、我々が進めている高齢者向け電動アシスト自転車の社会技術開発でも参考になります。

お昼は近くの「かふう」で北大DP関係の方々と。

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みっくす天丼おいしゅうございました。

■激論、若手STS研究者
午後のセッションは「若手からSTSの現在ーSTS観・STS教育・キャリア形成」に参加。
活躍中の若手研究者の方々が、STS研究・研究者のアイデンティティとは何か、というかなり若くあつい議論に白熱教室。
ディシプリンとしてSTSや科学コミュニケーションがなじみむかは疑問もありますが、STS学会に対する自分のよそ者的態度も反省。

■再生医学とSTS
学会の締めは発生生物学の大家、iCeMS拠点長の中辻先生。
前は生物学の徒として見ていたが、今はSTSの立場から見ている自分に不思議な感覚です。
詳細はr_shineha氏によるtogetter⇒http://togetter.com/li/223601

前半はiCeMSの実例を通し、いかにSTS的な研究や実践を組み込んで研究するか、というお話でした。
iCeMSにはサイエンスコミュニケーショングループ(加藤和人氏)とイノベーションマネジメントグループ(仙石慎太郎氏)が設置されているという点でも、日本の研究システムを先導しているとも言えます。

後半は生命倫理について。iPSはESのような倫理的な問題がないからよい、ESではなくてiPSを推進すべき、という事実誤認と単純な考えが若い研究者にもある、という趣旨の指摘が中辻先生からありました。
「そもそもES細胞は不妊治療で使われずに夫婦が廃棄を決めた卵細胞を使っており、ES細胞のために殺しているわけではないから問題ない」という言葉には、それだけですべて倫理的にクリアされるわけではないので同意しかねますが、ES細胞研究とiPS細胞研究はつながっている研究分野であり、どちらか一方をストップすると細胞供給等で影響を受けることは事実。
また、ES細胞研究の倫理を語る時に、管見の限りiPS登場前は、ES細胞の技術的特徴である受精卵が使われることの是非にのみ議論が集中していたように思えます。これは当時から(当時は単なる発生生物学徒でしたが)疑問でした。

ということで、iPSにおける倫理的問題を、ES細胞研究代替や受精卵のみに単純化して考えることは中辻先生の指摘の通り重要な問題を含んでいると思います。

議論がまだ続いていましたが、新幹線の時間が迫って来たので会場を離脱。

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今回の大会は、これまでに参加してきたどのSTS大会よりも問題意識にあふれ、活気がありました。
それがSTSの拡大につながるのか、発展的解消につながるのか、それとも消滅につながるのかはわかりませんが・・・
ただ、自分はSTS研究者である、という認識はいよいよ固まったのではないかと思います。