今さらですが、昨年の今頃、2010年の6月19日に出された、
「「国民との科学・技術対話」の推進について」と題された文書について。
この文書には科学技術政策担当大臣と総合科学技術会議有識者議員の署名があり、
そこでは、「倫理的・法的・社会的課題と向き合う双方向コミュニケーション」「研究活動の内容や成果を社会・国民に対して分かりやすく説明する、未来への希望を抱かせる心の通った双方向コミュニケーション」を、「国民との科学・技術対話」と位置付け、積極的に推進すべきとしています。
(ちなみにきちんと「科学」と「技術」が「・」でわけてある」→これについてのエントリはこちら)
■コミュニケーター養成から実践へ
この方針は、第3期科学技術基本計画の流れをさらに推し進めるという流れのなかで出されたもので、いわゆる「科学技術コミュニケーター」の活躍の場を作る可能性を持つものです。
(とある筋によると、実施側がそう考えているかどうかは?とのこと。)
良し悪しありますが、前回の科学技術コミュニケーションの時と同じく、今回もトップダウンで年間3千万以上の競争的研究資金を獲得した研究者は、この科学・技術対話を行うべし。ということになりました。
そしてその際、「満足度、難易度についてアンケート調査を行うことを記載し、質の高い活動を行うことができたかについて確認する」としています。ただの講演会、やりっぱなしの講演会はだめ、ということです。
質の高い活動とは、冒頭にもあげた、
「倫理的・法的・社会的課題と向き合う双方向コミュニケーション」
「研究活動の内容や成果を社会・国民に対して分かりやすく説明する」
「未来への希望を抱かせる心の通った双方向コミュニケーション」
であるところの「対話」です。
(この「国民」と「国」と「専門家」という3者が絡む説明活動には本質的に限界があるのだがそれは→こちら)
■対話をどう評価するか
この文章を見る限り、方針を出した側が対話とは何であるかについては、具体的には考えてはいないように思えます。
それは我々が考えるべきこととも言えるかもしれません。
さておき、そもそも対話とは何かを考えることなしに、それを観測し、評価することは不可能なことは自明です。
「対話」企画者の考えている対話とは何か、来場者が考え、期待している対話とは何か。
そして実施結果について、来場者や情報提供者を含む企画者側はどう評価したのかを見る必要があります。
イベントの評価というと、すぐに来場者の反応からイベントを評価するアンケートなどの方法に目が行きますが、そもそもその来場者に影響を与えた、と想定される実施側のイベント当日の行為、および企画段階をトレースしなければ評価などできません。
「対話」について仮説をたて、結果に影響を与えるであろう要素を整理し、そしてそれを観測できる方法を練り、そして実施し、結果を測定して、初めて「活動の質」を確認することができるでしょう。
なにより評価で重要なのは、それが客観的に信頼性が極めて高い評価であるかというのとは別に、活動の最中において、自分自身を振り返る、形成的評価としての側面だと思われます。
ある意味、自己との対話です。
■対話の諸相
評価自体が対話だと書きましたが、ではイベントにおいて、より狭い意味での人同士の対話には何があるのでしょうか。
ざっくりと以下に挙げてみます。
1.情報提供者と企画者
まず情報提供者(専門家)と企画者の対話は、よい企画にするためには必須です。
経験上、この段階でどれだけ話し合ったかは、当日の対話性(活発で対等な異価値の意見表出)に比例すると思っています。
この企画を通して、情報提供者はその対話の実現のためにどう当初の「講演案」を変え、意識をどう変えていったのか?
これは他の研究者に、対話活動の有用性を示すことと、対話活動企画の参加障壁を下げ、ガイドラインとすることができます(⇒これについては論文を書きました。些末な記述が多くてわかりづらい。もう少しうまく書ければよかった・・)
2.情報提供者と司会者
情報提供者一人が延々としゃべっていたら、どうしても会場が教室型になってしまいます。
そこで、情報提供者と司会者、あるいは複数の情報提供者同士の対話を行うことで、来場者も代理的に対話に参加するという形態も考えられます。
この代理的な疑似対話は、その後に下記3の対話を行ううえで、来場者をあっためる効果もあるのではないでしょうか。
3.情報提供者・司会者と来場者
「対話のため」として質疑応答の時間を設けても、それは対話に結びつくのでしょうか?
情報提供の段階で、科学的事実についてのみ提供していては、その後の時間では質問と回答しか生まれません。
科学的事実について対話(ディスカッション)するのは、専門家同士かある程度専門性を持つ者でなければ不可能でしょう。
そこで重要なのが、方針の中にも書かれていた、「倫理的・法的・社会的課題と向き合う双方向コミュニケーション」です。
専門家も来場者と同様の立ち位置に立てるのは、このようなテーマです。
つまり、対話たりうる情報提供があるか、これについては企画段階で情報提供者とディスカッションしないとそう簡単には出てこないでしょうし、構成に入れ込むこともむつかしいでしょう。
とはいえ、実は日本人はそういった対話などではなく、質疑と情報提供を求められているのかも知れません。
これは以前から指摘されてはいることですし、テーマや対象者によってはそうでしょう。
その点を明らかにすることも無駄ではないかもしれません。
4.来場者同士
対話イベントで相互に作られる情報は、専門家から提供される情報が優勢なものではなく、来場者から提供された情報も等しく含まれているのが筋でしょう。
来場者同士の対話を促進するためには、やはり構成やスタッフについて十分に練る必要があります。
また、多数の意見を一覧できる仕組みも必要です(⇒これについてはマインドマップを使った意見マップを何回か試してみてます:pdf6ページ目)
5.非来場者との対話
来場者が会場を後にして、その後そのネタを持ちかえって誰と話すか、あるいはさらに学びを進めるか。
あるいはイベント中にtwitterやUstreamを介してそこにいない人々も参加できる仕組みをつくるか。
これは動画や資料をアーカイブして、必要な人が必要な時に見られるようにすることも含まれるでしょう。
■だれがそれを担うのか
以上、若干対話の定義が広がりすぎている気もしますが、ただの講演会ではなく、評価も行うのであればいろいろ分解して考える必要があるでしょう。
上記に列挙したように、これらを実施・記録・評価するためには、ただ事務的に講演会を実施し、アンケートを回収するのではなく、企画全体に参与しつつ企画を進め、評価と分析ができる人員が必要になります。
実際に、件の文書でも、
「研究者等の「国民との科学・技術対話」が適切に実施できるよう、支援体制の整備、地域を中心とした連携・協力体制を整備する。例えば、双方向コミュニケーションに関する専門的知識を持つ専任教員、専任研究員、科学コミュニケーターや事務職員を配置、あるいは部署を設置することで支援体制を整備」
と書いてあります。
しかし、なかなか現実は難しいかもしれません。
アンケートはデータを定量化できるので、理工系の方々には実践としても研究としても理解されやすいかも知れません。
一方、企画への参与と質的な記述というスタイルは理工系にはわかりづらいも知れません(正直私もよくわからない)。
なのでそこに人的資源をつぎ込むということには結びつきにくいようです。
トップダウンで始まった「国民との科学・技術対話」。
全国一斉に取り組みが始まっている今この時は、「日本の対話」とは何か、どうすべきか、を明らかにできるチャンスでもあり、今後の科学技術コミュニケーションの一つの枝が伸びるかどうか、重要な時期に思えます。